ビルマの僧侶、既に「成功」


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スダンマチャーラ師が、ティク・ナット・ハン師のインタビューを翻訳してくださいました。


いつも貴重な情報を提供してくださる、スダンマチャーラ師に心より感謝しております。


Friday, Oct. 12, 2007


Burma's Monks: 'Already a Success'
ビルマの僧侶、既に"成功"


Friday, Oct. 12, 2007 By DAVID VAN BIEMA/NEW YORK CITY


ニューヨークのマンハッタンのホテルの一室に、その僧はこげ茶の法衣をまとい、こげ茶の座具の上で坐禅の形で座っていらした。横には、お茶の入ったポット、読書用の眼鏡、「市場におけるマインドフルネス」という師の本などが、きちんと整理されて置かれていた。その僧、ティクナットハン師は、アメリカ各地での教えの旅の途中だったが、タイム誌のために時間を作って、ビルマで僧侶が立ち上がったことについての短いインタヴューに応じてくださった。


ティクナットハン師は長い期間にわたって、国際社会に向けて仏教界の真実の声を伝える役を果たされてきた。(ティクとはヴェトナムのすべての僧侶が得度の時与えられる名であり、漢訳は釈、ちなみにティク・ナット・ハンは漢訳では釈一行となる)ハン師が国際的な注目を集めたのは、1960年代初期のことである。そのころヴェトナム戦争のさなか、南(サイゴン)と北(ハノイ)の両方の政府からの迫害に抵抗していた仲間の僧達を指導していた。やがて、仲間の何人かの僧は命を落とし、ハン師自身も亡命せざるをえなくなった。亡命後も引き続き、アメリカから戦争に反対し続けた。ハン師の説得を受けて、マーティン・ルーサー・キング牧師も、ヴィエトナム戦争に反対声明をだした。続いてキング牧師はハン師をノーベル平和賞の候補者に推薦した。ハン師はそれ以来、色々な言語を用いて話し、書き続けてこられた。「社会にかかわりあう仏教」の理論を実践され、彼の(仏教)哲学と他の信仰の伝統との共通点を探ってこられた。いまでは、アメリカにおいては、ダライラマに次ぐ人気を得られ、著作も読まれている。アメリカのイラク介入を始めとする世界のさまざまな紛争に反対を声明されてきた。普段はフランスにある僧院(プラムヴィレッジ)で暮らしていられる。


仏教には大きく分けると三つの伝統がある。一番目は、主に東南アジアで実践されている、歴史的に一番簡潔な形であるテーラワーダ仏教ビルマの僧侶達もこの伝統に所属している。二番目は、東アジアの大乗仏教であり、ハン師の禅仏教もこれに属する。三番目が、ダライラマチベットの伝統。密教とよばれる。今回の会話のなかで、ハン師は、以上の三つの伝統本質的には一致することと、戦いのなかにいるビルマの人々への 連帯を強調された。ビルマの人々も、私たちと全く同じように、マインドフルネスと心の統一を実践しているのです、とハン師は言われた。


ハン師は言われた。「ビルマの僧侶達は既に仕事をやり終えられた。彼らは既に"成功"したのです。何故かというと、たとえ投獄されたり、殺されたことになっても、精神的に人々を導いたという事実はもう確固としてあるのですから。それに続くのかどうかは、ビルマの民衆と国際社会の決断しだいです」。それは(キリスト教でいう)殉教ということなのかという質問に押されるように、「民主主義を根付かせるために、ビルマの人々を支えようとしている、ビルマの僧侶達が現在も迫害され、これからも苦しみ続けてゆく事実を、明確に私たちは認識していかなければ」とハン師は答えられた。


鎮圧される前に、ビルマの兄弟(僧侶)達によってなされた最も衝撃的な動作は、托鉢に用いる鉢をさかさにするという象徴的な行為だ。西洋の文化のなかでは、托鉢というのは教会やシナゴーグの敷地のなかでのみ行われるので、これは奇妙にうつったことだろう。しかし、ハン師はあの行為は、体制側の指導者達を拒否するという、強力な声明だったと指摘された。こう説明される。「仏教文化のなかで、僧に食べ物を布施するとは、善行を意味します。その「善きこと」を修行する機会を持たないならば、暗い領域(無明)に取り残されることになるのです」鉢を逆さにすることで批判するということで、体制の側に善行をする機会を与えないことになる。ビルマにおける僧の重要さ示す何とも恐ろしい報告がある。僧を撃つことを拒否したことで、ビルマの何人かの兵は逮捕されたのだ。


アメリカでは仏教と社会活動の関係について十分には理解されていない。多くのアメリカ人は仏教とは、この世界を一時的で重要でないとする哲学であると受け止めている。アメリカで最も普及されている仏教は、余計なものを省いた形の、テーラワーダ仏教の実践(ヴィパッサナー瞑想)である。慈悲の瞑想で補足された儀式を強調したうえでの。ハン師は言われる。「瞑想とは智慧のためです。つまり理解と慈悲を得るためです。智慧と慈悲があれば、私たちはいやでも行動せざるをえなくなります。仏陀は(菩提樹の下で)悟られたあと、人々を助けに向かわれました。瞑想は社会を避けるためのものではないのです。(正しく)行動するのに必要な智慧を得るためのものです。瞑想というのは、ただ単に座って静けさと平和を楽しむためのものと思うのは、間違いです」


ビルマの関する短いインタヴューの後、その日の午後、ハン師のこころを占めていたいくつかの話題について話された。最初の話題は、地球温暖化。次は、食物連鎖のなかで低いところに位置するものをたべる、つまり菜食主義について。それに関して、ハン師はある仏教の話を持ち出された。ある夫婦は、砂漠を幼子と一緒に越さなければいけなかった。食べ物がなくなったので、その子供を殺し食べてしまった。段々小さくなる子供の遺体を、何度も何度も謝りながら運んだ。ハン師は語られた。「仏陀はこの話を言われたあと、弟子達に尋ねた。この夫婦は子供の肉を楽しんで食べたと思いますか。弟子達はそれは不可能です!と答えた。仏陀は、こころに慈悲をもちながら食べようといわれた。でなければ、自分の子供や孫の肉を食べるようなものになってしまうのだから」ハン師の、やわらかな法衣,やさしい微笑と平和な雰囲気ののしたにある「鋼鉄」の存在を思い出させる、裸の真実の話だった。



☆ 英語の原文は以下をクリックしてください。
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1670911,00.html