反貧困

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)

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貧しい人々のために、日夜現場で働く湯浅誠氏の本です。


湯浅氏は、徴兵制のないアメリカで、貧困者が「食べるため」軍隊に志願しているという現状を語ります。

若者を戦争に駆り出すために、徴兵制や軍国主義イデオロギーよりも効果的な方法がある。
まともに食べていけない、未来を描けない、という閉塞した状況に追い込み、他の選択肢を奪ってしまえば、彼/彼女らは「志願して」入隊してくる。

(本書 p.212より)


貧困問題に関わる現場で、何より困ったことは、貧困者同士が足の引っ張り合いをしたり、妬み、争いあうことだそうです。

日雇い派遣会社の内勤労働者と日雇い派遣労働者、生活保護受給者と福祉事務所職員、社会保険庁職員と年金生活者、大企業正社員の父親とフリーターの子、外国人研修生・実習生と日本人失業者などである。
「おれのほうが大変だ。おまえは楽している、怠けている、あるいは既得権益の上にあぐらをかいている」と言い出せば、双方が相互に引き下げあう「底辺への競争」「下方への平準化」にしか帰結しない。
たとえ首尾よく相手を引きずり下ろしたとしても、自分の暮らしはよくならない。
私たちが求めているのは、誰かを引きずり下ろすことではなく、貧困問題を解決することだ。
そのことを当事者自身の言葉で語ってもらった。

(本書 p.216より)


そんなことよりも、税金の無駄遣い
http://www.cyzo.com/2008/12/post_1276.html#more


を減らすために労力を使うべきだということです。

誰かに自己責任を押し付け、それで何かの答えが出たような気分になるのは、もうやめよう。
お金がない、財源がないなどという言い訳を真に受けるのは、もうやめよう。
そんなことよりも、人間が人間らしく再生産される社会を目指すほうが、はるかに重要である。
社会がそこにきちんとプライオリティ(優先順位)を設定すれば、自己責任だの財源論だのといったことは、すぐに誰も言い出せなくなる。
そんな発言は、その人が人間らしい労働と暮らしの実現を軽視している証だということが明らかになるからだ。
そんな人間に私たちの労働と生活を、賃金と社会保障を任せられるわけがない。
そんな経営者や政治家には、まさにその人たちの自己責任において、退場願うべきである。
主権は、私たちに在る。

(本書 p.224より)


税金は、社会保障のために私たちが一時的に政府に「貸し」たものなので、有効に活用してもらうことにより「返し」てもらう必要があります。


社会保障費は「お上」に「恵んで」もらうものではありません。


自分たちのお金なのですから、「恵んで」もらうというのはそもそも成立しない話です。