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1、感覚的な快楽への欲望


私たちは、好ましいものを見る、好ましいものを聞く、好ましい匂いをかぐ、好ましい味覚、好ましい触感、好ましい妄想に執着してしまいます。


食事をするとき、セックスをするとき、快適さや富、好きな仲間たち、恋人と一緒にいるとき、様々な種類のエンターテイメントに囲まれているとき、私たちは、いつでも、どこでも、好ましい妄想や五感に生じる好ましい感覚を探し求め、それに執着してしまいます。


私たちが欲するものを得たとき、それによって生じる肉体的、精神的な感覚の喜びが、それが無くなってしまったときには、苦しみの原因となってしまうのです。


そして、私たちが欲するものを得られなかったならば、それもまた苦しみの原因となるのです。


私たちが苦しみを味わうとき、嫌悪感が生じます。
もし、私たちがその嫌悪の感情をもって他人を非難するならば、その嫌悪の感情は怒りや憎しみへと成長します。


要するに、感覚的な快楽への欲望は、私たちにとって、憎しみと争いを生じさせる原因になるのです。
そして、憎しみと争いが生ずるところ、私たちの苦しみは倍増することとなるのです。


(続く)